おカネからの社会変革

 おカネにはネガティブな問題が多いが、今回は逆の事例を紹介してみよう。オーストリア「ヴェルグル」の地域通貨の話だ。

 ヴェルグルはアルプス山脈のふもとの村で、交通の要衝だったことから栄え始め、1900年頃には人口650人程度しかいなかったのだが、1910年時点では4000人以上に増加していた。しかし、世界を襲っていた大恐慌はこの町にも暗い影を投げかけ、鉄道は従業員を100人以上減らし、産業の中心だった繊維工場もまた閉鎖に追い込まれ、町は麻痺状態に陥った。町役場は破産状態、何より税収の未納分だけで11万8000シリングになり、誰も支払えない状況になった。

 そんなときウンターグッゲンベルガー氏が町長に就任し、彼は就任翌年の1932年に「労働証明書」という地域通貨を発行した。滞っていた町役場の職員給与のうち1000シリングを地域通貨で支払った。この地域通貨は、表面にスタンプを貼るスペースがあって、翌月になるたびに額面の!%のスタンプを貼る必要があった。つまり年間ではマイナス12%の金利が課されていた。だから受け取った職員はすぐさまこれを使おうとした。しかしこの地域通貨で「未払いの税金」も支払うことができた、この労働証明書の導入からわずか三日、町役場の職員が「1000シリングしか発行していないのに5100シリングも労働証明書で税金が入ってきたのは、偽造に違いない」と町長に報告したという。しかし実際は偽造ではな く、その紙幣が町役場と町内の事業所を何往復もしていたらしい。偽造するのに三日では作れなかったのだろう。

 その後国の政府によって禁止されるまでの13か月の間に、平均5400シリングほど流通していただけだが、その経済効果は250万シリングに上ったと言われる。失業は解消し、人々は長期的な投資に精を出したようだ。

 このような効果はまさにシルビオ・ゲゼルの理論の通りだった。すべてのモノが価値が減っていく方向に進むのに、おカネだけが価値を増やしていく。その結果、人々はおカネを不動のものとして集めていく。おカネも他のモノと同様に価値を減ずるモノであるべきだと考えて実行したのだ。その結果、おカネを集めるのではなく、長期的に価値が得られるものへと人々は投資をシフトさせた。

 カネは使い方によって社会を変えられるツールになる。ゲゼルのようにカネを変えるなら、社会を持続可能な方向に向けることもできる。ところが人々は思い切りカネに依存しながらカネを考えようとしていない。

 都会が輝いて見えるのは幻想だろう。都会が輝くのは地方の生み出した産物を高く売ることで都会に利益を集めているせいではないか。全世界的に見ると、わずか8人の大富豪が地球上の富の半分を得ていて、残りの半分を8人以外の地球上の全人類が分け合っている。それすら平等に得ているわけではなく、零細富豪の上に中小富豪が乗っている。「地域活性化」はどこでも言われることだが、その「活性化」の方法がわからない。

 ここで簡単に「地域活性化」を考えてみよう。地域の経済は循環しているおカネの量で示される。おカネの循環の反対側には商品の循環がある。商品が売れないから地域経済が回転せず、経済が停滞しているのだ。そのおカネは私たち自身が使っているものだ。地域に回転するカネが少ないのなら、回転数を上げればいい。さらに簡単にすると、地域経済の経済活性の程度は、「地域の資金量×回転数」になる。地域が都会でなければ資金量は地域の人のものにしか頼めない。とはいえ集中生産させる大企業の商品ではその利益も都会に戻されてしまう。地域内の生産物を地域が買い支えることが必要だ。

 未来バンクの方向は、このカネの持つ力を自分たちのものにしようとするものだ。今から考えれば、未来バンクを設立して方向性を示すのが早すぎたのかもしれない。大きな変革にはつながらなかったからだ。

 しかし私たちはあきらめたわけではない。いつかそのタイミングが来たときに大きく打ち出してみたいと思うのだ。人々は今は考えてもくれないが、そのカネの持つ革命的な力を活かせるときが来るのではないか。そう妄想するのだ。

 おカネに意志を持たせることがまず第一だ。カネは匿名でずるいことをするのに便利な手段だという現在を越えて、何かを実現するための市民の持つ強大なツールとなるとき、社会は変わり始めると思う。カネは一部の人の利益のものでなくなり、多くの人の希望を実現できるものになる。そのときには必ずおカネの変革が必要になる。未来バンクはその準備をしているのだと思う。

未来バンク
理事長 田中優